最近は列車の人身事故が多くなっています。アナウンスを聞くたびに胸が痛くなります。なぜ人は死に急ぐのでしょう?
動物には生存本能があり、自然治癒力があり、人間も動物ですからどんな病気でも身体は最後の最後まで黴菌や衰えと戦ってくれます。脳でさえ新しい細胞が一生懸命あたらしい情況に適応しようとします。では、生存本能や自然治癒力を拒否してまでも死ぬことを選ぶとは、どういうことでしょう?
思想死というのがあります。殉教や自爆テロ、戦争で死を選ぶ時、昔の切腹や情死などもその種類でしょう。しかし、それは社会情況や考え方でそのように行動するのです。決して生きていたくないのではありません。
獲物に追いかけられた動物が必死で逃げ、万事休すという時の最後にうずくまる時に何を考えて、あるいは感じているのでしょうか?動物の心はわかりませんが、おそらく「死にたい」ではないでしょう。
欧米では、自殺を病気であると考えます。それは、自然の摂理に反する行動であるから異常、すなわち病気と考えます。死にたくなる病気、それを仮にですが鬱病というのです。病気だったら治ります。そう、「死にたい」と考えているあなたは今、病気にかかっているだけなのです。
その病気は考え方のゆがみを特徴とします。どのようにゆがんでいるかは、病気であるあなたにはわかりません。相談してください。急を要する場合に限り、私は日曜日でも面接に応じています。まずは電話をして予約をしてください。
「一緒に死んでくれ」、という人がいたら、答えは明確にNO
です。その人のゆがんだ考え方や感じ方に共感したり同調したりしてはいけません。早く治療につながるよう誠心誠意説得してください。
明日が今日と、今年が来年と同じである必然性はないのです。希望を失うのは、ゆがんだ考え方にとらわれていながら、それに気がついていない自分がいるからです。元来、だれしもが希望を持って年を越せるのです。 |